大判例

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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)9078号 判決 1978年7月24日

原告

渡辺利三

外一名

右 両名訴訟代理人

三上宏明

被告

社会福祉法人

三井記念病院

右代表者

佐藤喜一郎

右訴訟代理人

三野研太郎

外二名

右相澤健志訴訟復代理人

又市義男

右原田策司訴訟復代理人

児玉康夫

主文

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

被告は原告らに対し各自金五七一万四、三〇〇円およびこれに対する昭和四七年六月二六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

主文と同旨の判決。

第二  当事者の主張

一  原告ら(請求原因)

1  当事者

(一) 原告らは訴外亡渡辺優(昭和二四年四月一八日生、以下「優」という。)の父母である。

(二) 被告は三井記念病院(以下「被告病院」という。)を経営し、訴外古田昭一、同中村欣正、同鰐淵康彦、同井野隆史はその被雇者たる医師であつた。

2  優の手術と死亡

優はフアロー四徴症(先天性心臓疾患の一種で、高位心室中隔欠損、肺動脈狭窄、大動脈の右心室への騎乗、右心室肥大の四つの徴候があり、この奇型により心臓が単心室の状態となるため、右心室から肺動脈を通つて肺へゆくべき血液の大部分が両心室から大動脈へ流れて肺循環を省略することになり、動脈血中の酸素が不足することになる。)の根治手術(以下「本件手術」という。)を受けるため、昭和四七年六月一日被告病院に入院し、同月一二日午前九時四五分から午後三時三〇分まで、古田医師の執刀で本件手術を受け、同日午後三時五〇分にICU室に入室したが、同月二五日午後五時二五分頃死亡した。

3  被告の責任

優の死亡は次のとおり、同人の手術後の管理にあたつた古田、中村、鰐淵、井野らの各医師の過失によるものである。

(一) 古田らは、本件手術は術後心臓出血等の危険が大きいので、優に右症状が生じた場合には直ちに止血等の処置を講ずることができるよう、十分に手術後の管理をする注意義務がある。

(二) 古田らは、優がICU室入室後心臓出血による心臓圧迫という危険な状態に陥り、ついで心停止に至つたにもかかわらず、術後管理が杜撰であつたため、その発見と回復措置が遅れ同月一三日午前五時四〇分頃、再手術を施行したが、心停止後三分以内に脳への酸素投与経路を確保することができなかつたという過失により、同人は昏睡状態になつて、脳死状態に陥り、以後同二五日午後五時二五分の心臓死までその状態が継続した。

(三) 同人は同月二一日午後七時二〇分頃、酸素吸入管が外れ、心停止の状態となつたが古田らの術後管理が杜撰であつたため、その発見と回復が遅れた。<以下、事実省略>

理由

一当事者と優の死亡

原告らが、亡優の父母であること、被告が被告病院を経営しており、訴外古田昭一、同中村欣正、同鰐淵康彦、同井野隆がその被傭者たる医師であつたこと、優はフアロー四徴症(その症状は原告主張のとおりである。)の根治手術を受けるため昭和四七年六月一日被告病院に入院し、同月一二日午前九時四五分から午後三時三〇分まで右古田医師の執刀で本件手術を受け、同日午後三時五〇分ICU室に入室したが、同月二五日午後五時二五分頃死亡したことは当事者間に争いがない。

二本件手術までの経緯

<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  優(昭和二四年四月一八日生)は先天的なフアロー四徴症患者で出生以来歩いたり泣いたりするとしばしばチアノーゼを起こし、発育も遅れ、七才で小学校へ、一八才で高校へ入学したが、小児期小学生時には五〇メートルから一〇〇メートルの歩行にたえられずうずくまつて休む状態であり、その後徐々に運動能力を増し、数百メートルの歩行五〇メートルの走行が可能となつたものの、高校は、階段の昇降に耐えられず、一か月で中退し、以後印刷工として働いていたが、階段の昇降などによりチアノーゼが強く起り、疲れが激しいので継続して働くことができず一定期間働いては実家に帰つて当分の間静養するという状態が続いていたところ、昭和四七年に入り心不全の症状があらわれてきた。

2  優は昭和四七年一月茨城県友部の中央病院において訴外町井医師によりフアロー四徴症との診断をうけ、精密検査のため被告病院への入院を勧められたので、同年三月三一日より四月八日まで被告病院に入院し精密検査をうけたところ、古田医師らによつてもやはりフアロー四徴症との診断をうけた。

3  フアロー四徴症は患者年令一〇歳で約五〇パーセント、二〇歳で約八五パーセント、三〇歳で約九七パーセントの死亡率を示し、四〇歳以上の生存は稀有な先天性心臓疾患で、その根治手術は昭和四七年当時最も高度の技術を要する手術であつたが、当時被告病院は右のような手術が常時おこなわれるだけの人的、物的設備を有していた。

4  一般に、右手術は、出血による血圧低下や呼吸不全が作用して低酸素状態(肺循環機能の低下による酸素の取り込み不足)を招来し、人工心臓の長時間使用に伴う灌流症候群(血液組成に変化を来し、全身状態を低下させる)の発生や麻酔、刺激伝導系の不可知的障害その他諸種の要因が総合的に作用して低拍出量症候群と呼ばれる状態になり、心不全に陥り、やがて心停止に至る危険性が高く、右手術の適令は通常四歳から一二歳とされ、一般に手術死亡率も術式の進歩により昭和三五年頃以後一〇パーセント前後となつていたが、成人の場合手術死亡率は幼児の場合よりも高率であり、本件の場合も、優は当時二三歳で、手術後の出血や急性心不全等を惹起して死亡する危険度も高いことが予想されていた。古田医師らは、右危険度も考慮したが反面前記3のフアロー四徴性の年齢別死亡率に徴すれば、この時点で根治手術を試みなければ、同人の余命がきわめて短いことが予想されたこと、肺動脈はさほど細くなつていないこと、肝臓、腎臓、肺等同人の全身状態の検査結果はかなり良好であつたこと等を総合判断して、根治手術の実施を適当と判断し、古田医師が同年四月頃優本人およびその父である原告渡辺利三に右判断を説明し、同年五月初旬手術実施の承諾をえた。

5  優は同年六月一日右手術のため被告病院に再入院して、中村、井野の両医師がその受持医となつたが、古田、中村、井野の各医師らは、血沈、ガス分析、呼吸機能、肝機能、心電図、レントゲン撮影、心拍出量その他の術前検査を実施し、これと第一回入院時の心臓血管撮影等の検査結果を資料としつつ、六月六日に外科系の医師により、同月一二日本件手術に関与する外科、内科、麻酔科の医師による各カンフアレンスを行なつてその手術適応と術式を総合的に検討したうえ、同月一二日午前九時四〇分から午後三時三〇分まで本件手術を実施し、同三時五〇分優をICU室に入室させた。

6  本件手術は古田医師の執刀のもと、鰐淵、中村、井野、尾本、橋本の各医師が助手を、山村、浅原、張、高橋の各医師が麻酔医をそれぞれつとめて実施され、優の右心室上部附近で心臓を切断し、右心室内の肺動脈附近の内壁および上陵部分の筋肉を切除し、肺動脈弁を切開して三弁に形成し、更に拡大器で拇指が辛うじて通ずる程度に拡大し、心室中隔欠損について直経二センチのダクロンパツチを使用して縫合閉鎖した。

この間の人工心肺使用時間は一四七分、このうち完全体外循環(全く心臓を使用しない)時間は九六分であつた。

三本件手術後、死亡までの経緯

<証拠>を総合すると次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  優が同月一二日午後三時五〇分頃ICU室に入室後翌一三日午前二時三〇分頃まで同人の術後管理は執刀医古田、受持医中村、井野、心臓外科の専門家である右鰐淵の計四名の医師およびICU室担当の看護婦二名があたつたが、右受持医の両医師は常時優につききりで監視治療にあたつていた。

2  ICU(インテンシブ・ケア・ユニツト)室は、特に密度の高い集中的治療をするための施設であり、当時三床のベツドがあつて、患者の状態を監視するため心電図、脈圧、血圧、心拍数等が自動的に表示されるセントラルモニターおよび各ベツドごとのベツドサイドモニターの外、人工呼吸器、心室細動除去機等の治療機器が設置され、特別に教育訓練された一二名の看護婦が三交替制の勤務をしており、夜間でも少くとも二名の看護婦が在室して一五分ないし三〇分毎に患者の呼吸数、脈博、血圧体温、出血量、尿量等を測定し、人工呼吸器、点滴の状態を点検する外、常時ベツドサイドで患者の全身状態を監視し、医師も少くとも一名が常時待機して患者の診療にあたることになつていた。

3  優の手術後の経過は、心のうからの出血は同日午後四時から一二時までの八時間で一、二〇〇CCで、うち同日午後八時からは毎時二〇〇CCとやや多かつたものの、同日午後一一時頃から始めた心のうドレーン(心臓の出血が心のうにたまることによつて心臓を圧迫する心タンポメーデを予防するため、右出血を排出すべく心の内に挿入している管)の洗滌後は出血も減少傾向に入り、翌一三日午後零時から三時頃までには毎時二〇CCにまで減少し、午後一時半頃には麻酔から覚醒し、名前を呼ぶと振り向き、医師の話を理解し、簡単な指示には応じることも可能な状態になり、その容態が安定したので古田医師は午前二時頃帰宅した。

4  その後は右中村、井野、鰐淵の三名の医師および二名の看護婦が優の治療、看護にあたり、午前三時すぎ頃心のうドレーンの洗滌をしていたところ、優の脈博数が毎分一一〇に増加し血圧が、八〇ないし一〇〇mmHgに低下して心不全の徴候が現われたので、その監視を継続中、午前四時頃突然心室細動がおこり、間もなく心停止の状態となつたため、右中村医師らは手動式の調節呼吸に切りかえるとともにベツド上で直ちに閉胸式マツサージを、次いで右鰐淵医師の執刀で再開胸のうえ開胸式のマツサージを実施し(この間心停止時間は一ないし二分、呼吸停止時間は二ないし三分であつた)これを継続しながら、ICU室から手術室へ運んだが、その途中で心室が細動を始め、手術室内でカウンターシヨツクを施したところ除細動に成功し心博が再開したが意識はもどらずそのまま昏睡状態に陥つた。

なお右再開胸したところ左心室心大部と右心室壁に多少にじむような出血はあつたが、術後の出血源となるものは特に認められず、心のう内に血液等がたまつて心臓を圧迫する心タンポナーデも生じてはいなかつた。

5  優は昏睡状態のまま同月一三日午前八時再びICU室に戻されたが対光反射がわずかに認められ、脳波検査によれば、ほとんど脳波は平坦に近い波形を示し、不整な低電位差の除波が見られる状態であつたが、同月一五日には脳波は平坦な波形を続け、不可逆状態となつていわゆる「脳死」状態になつたと判断されるに至つた。

6  右中村医師らは優が脳死状態になつた後は比較的自由に面会を許していたが、同月二一日午後七時二〇分頃原告の知人が面会に来て優の頭に触れてこれを動かした直後に呼吸器がはずれてチアノーゼが生じ脈博・血圧測定不能の状態となつたが、原告渡辺利三が優の状態に気づき、看護婦に言つてICU室にいた右中村医師を呼び、同医師が吸入管を接続し直し、体外式心マツサージをおこなつた結果心拍数一二〇血圧も一二〇―八〇mmHgに回復した。<証拠判断略>)

7  優はいわゆる「脳死」状態に陥つたままであつたが、遂に同月二五日午後五時二五分心拍も停止して死亡した。

なお被告病院は同人の解剖検査を希望したが、その家族の協力をえられず、実施できなかつた。

四被告の責任

1  本件手術は術後出血等の危険が大きいので、右症状が生じた場合は、古田、鰐淵、中村、井野らの各医師が直ちに止血等の処置を講ずることができるよう十分に手術後の管理をする注意義務のあることは当事者間に争いがない。

2  原告らは、古田らが右注意義務に違反し、術後管理が杜撰であつたため、優がICU室入室後心臓出血による心臓圧迫という危険な状態に陥つたにもかかわらず発見と回復措置が遅れ心停止後三分以内に脳への酸素投与経路を確保することができなかつた旨主張するので判断する。

三4、5判示のように優は本件手術を終えICU室に入つた後の同月一三日午前三時頃心不全の徴候を現わし、午前四時頃突然心室細動次いで間もなく心停止、呼吸停止の状態となり右鰐淵の執刀により再開胸手術がおこなわれたが意識は回復せず、そのまま昏睡状態となり同月一五日には不可逆的ないわゆる「脳死」状態に陥り、同月二五日午後五時二五分に心拍も停止したのであるが、これに対し、被告病院の医師らは、三1ないし4判示のとおり、本件手術が終了して同月一二日午後三時五〇分頃優がICU室に入室後翌一三日の右心停止までの間、同人の受持医である中村、井野の両医師が常時ベツド脇で優を監視し、ICU室備えつけのモニターには常時同人の心電図、脈博、血圧、心拍数が自働的に表示されていたうえ、二名の看護婦も一五分ないし三〇分おきにその脈博、血圧等を測定する外患者の全身状態を観察していたこと、この間心タンポナーデを予防するため同日午後一一時頃と翌日午前三時頃にドレーンの洗滌がおなわれたこと、右心停止が起こる前脈博数が毎分一一〇に増加し、血圧が八〇ないし一〇〇mmHgに低下し心不全の徴候が現われた段階ですでに井野医師がこれを発見し、直ちに右中村、鰐淵の両医師がこれを診察していること、同日午前四時頃心室細動に次いで心停止、呼吸停止が発生後は直ちに手動式の調節呼吸に切りかえ、呼吸を確保すると共にベツド上で閉胸式マツサージ、次いで再開胸のうえ開胸式マツサージを実施しつつ手術室へ運び途中心室細動を生じたが、手術室で電気シヨツクを施すことで心拍再開に成功し、以後六月二五日まで心拍は継続したこと、この間の心停止時間は一分ないし二分、呼吸停止時間は二分ないし三分であつて、心停止後三分以内に脳への酸素投与経路は一応確保されたこと、再開胸したところによれば、心臓に術後の出血源となるものは特にみあたらず、心のう内に血液等がたまつて心臓を圧迫する心タンポナーデの状態も生じていなかつたこと等臨機応変の処置を尽しているのであつて、右古田らに術後管理が杜撰であつたとの過失を認めることは到底できず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

3 最後に原告両名は、優が同月二一日午後七時二〇分頃酸素吸入管が外れ心停止の状態になつていたが、右古田医師らの術後管理が杜撰なためその発見と回復がおくれた旨主張するので判断すると、三6判示のように優は右原告主張の頃酸素吸入管が外れ、チアノーゼをおこし脈博、血圧測定不能の状態に陥り、原告の家族が最初にこれに気づいた事実が認められるが、三5ないし7判示のように優はすでに同月一五日に不可逆的ないわゆる「脳死」状態に陥つていたうえ、中村医師が吸入管を接続し直し体外式心マツサージをおこなつた結果心拍数一二〇、血圧一二〇―八〇mmHgに回復し、同月二五日午後五時二五分まで心拍も継続した事実を総合すれば、右吸入管の外れおよび同人に生じた右症状は右優の死亡との間に因果関係があるものとは認めることができず、他にこれを認定するに足りる証拠はない。

4  したがつて、古田、中村、鰐淵、井野らの各医師には本件手術後の管理につき過失は認められず、これを前提とする原告両名の請求は理由がない。<以下、省略>

(佐藤安弘 小田泰機 大竹たかし)

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